大切にしたい人を大切にするために…人を大切にすることとは何か考える

みえないこころの話

『人を大事にしなさい』『あの人は人を大事にしない人だから』『自分という人を大事にしよう』『自分が大切にしたい人を大事にしよう』…。

大切に、大事に、なんて一口に言っても、その『人を大切にする』って具体的に一体どういうことなのか?

筆者の持論ではあるが、一緒に考えてみてほしい。

自分の感情や気持ちを思い出してみよう

話は変わるが、君は自分という人間の気持ちはある程度わかっている、と思っているのではないだろうか。

生きている上で、何かの物事があったとして、そのときの感情や気持ちを思い出してみてほしい。

怒ったときはどうだろうか。体に起こる反応を思い返してほしい。頭に血が上り、重だるい感覚よりもその気になれば悪い意味でなんでもできそうなくらい頭がさえて、体が火照ほてって熱くなって、全身がこわばって、歯を食いしばったり、手を握りしめたりするだろう。

では、感情や思うことはどうだろうか。何か目の前の物に当たりたくなったり、相手に対して何かを言い返したくなったり、自分の言ってることが正しいと思い込んだり、自分の思っていることを相手に理解させてやる、という気持ちになるのではないだろうか。

悲しいときはどうだろうか。体の反応を思い出してみよう。頭がぼーっとして何も考えられなくなったり、また同じことをぐるぐる考えたり、何もやる気が起きなくて、全身がだるくて、何を食べてもおいしいと心で思うことができなくて、勝手に涙が出たりするのではないだろうか。

では感情や気持ちを思い出してみよう。自分が悪いのではないか、自分には価値がないのではないか、他の人も自分のことを悪く思っているのではないか、笑われたりかわいそうな目で見られるのではないか、動揺どうようしていてパニック状態で混乱していて、そんなことはないはずなのに、それくらい気持ちが渦巻うずまいているのではないだろうか。

このの感情といわれる怒りや悲しみは、感じていてとても不快に思うのではないだろうか。

逆に今度は、嬉しいときや楽しいときを思い出してほしい。

疲れているはずなのに、体の重だるさがスッキリとして、気分が晴れ晴れとしている。このままどんなことでもできてしまうんじゃないかっていうくらいに、頭がハッキリしているし、体が活動的になる。自然と笑みがこぼれているし、もしかしたら誰かに何か良いことをしてあげたくなるかもしれない。

なんとなく、自分の感情が動いたときの気持ちが想像ついただろうか。

自分は人間だし、相手も同じ人間である。感情や気持ちもある程度は、そのまま自分が感じたことの反応に近い。

では何が違うのか。人によってどこが怒るポイントなのか、どこが悲しむポイントなのか、どこが嬉しいと楽しいと思うポイントなのか、が違うことだ。

自分はこれを好きで楽しいと思うけれど、相手にとっては興味がないから楽しいという気持ちにはならない。

自分はこれが楽しいと思う=相手もこれが楽しいとは限らないのである。

自分にとっては些細なことで、怒ったり悲しんだりすることもないけれど、相手にとっては怒ったり悲しいと思うポイントなのかもしれない。

人それぞれ考え方や意見が違っても、ここを腹の底から理解している人としていない人とでは雲泥の差がある。

じゃあ人を大事にするってどういうことなの?

自分の気持ちはなんとなくわかる。でも相手の気持ちは相手じゃないからわからない。その通りだと思うし、それでいいと思う。

では何が必要か。結論からいうと、『人を大事にするということは、その人をよく知り、敬意をもって、できればその人が本当に望む形で声をかけたり行動ができること』だと筆者は考える。

ちなみに言っておくが、これは『相手の言うことをなんでも聞けばいい』ということではない。『相手のことをよく見て知った上で、本当にその人が何を必要としているか自分の頭で考える』ということである。

その人となにげない会話をして、または一緒に行動をして、相手の怒ったり悲しむポイント、好みなどから嬉しい楽しいと思うポイントなどを知ると、自分が相手に対してやるべきことや、どんなふうに声をかけるべきか、どうしたらこの人が快適に過ごせるだろうか、自分の頭で考えることができる。

相手に頼まれていなくても、その人のために何をしたら、快適に過ごしてもらえるだろうか、どんな言い方でどんな雰囲気で話したら気が楽になるだろうか…その人をよく知った上で考えることができ、行動することができたなら、それはもうその人を大切にしているということになるんじゃないだろうか。

具体的な例を一つあげるのなら、一緒に生活しているとして、相手が物音に敏感で、自分には気にならない音でもストレスになってしまうような人だとしよう。

ここで自分は気にならないから知らないし関係ない。で、何もしないなら、それは自分本位で、自分だけを大切にした考え方だと思う。とても相手を大切にしているとは言い難いし、他人と同義である。

ここで何か考えて、では自分はなるべく音を響かせないようにスリッパを履いて移動しようだとか、戸の開け閉めは雑にやらないで静かに開け閉めしようだとか、防音の壁を選んだり、防音シートを貼ってみたり、遮音性の高いヘッドホンをプレゼントしてみたり、できるだけ静かな地域に引っ越してみたり…相手をよく知っていると、どうしたらいいか手段を考えることができる。

こういったことが、相手に対する『配慮』であり『思いやり』であり『真心をもって接する』ということなのではないかと思う。筆者はそれこそが『愛情』なのではないかとも思うのだ。

そして本当に自分のために考えてくれる人は、口で言わなくても相手に必ず伝わる。自分でも、自分のために他人が何かしてくれたら言葉ではない感覚的なところで嬉しい気持ちになるし、なんなら感動すらするだろう。

怒らせたり悲しませたりするようなことをしたくないなら、なおさら相手をよく知ることだ。そして、もしも怒らせてしまったり、悲しませたりしてしまったら、そんな不快な感情にさせてしまったことを素直に謝罪し、よく理解をした上で、次気をつけるようにすればいい。

まとめ

人は自分の主観で物事を見ているし、心を読める能力も持っていないので、やはり人の気持ちはわからないのだ。わからないから、わからないなりに考える。なんならなにげなく質問してみてもいいだろう。

どんなに親しい相手だったとしてもその人を100%理解することはほぼ不可能なのである。数十年の付き合いだったとしても知らないことだってあるし、全てを理解しなくてもいいのである。

そして、自分も人を大切にできるようにつとめたうえで、自分のことも同じように大切にしてくれる人と長く付き合っていけたらいい。そのほうが自分もストレスなく平和に過ごせるだろう。

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