自分だけのひみつきち2

ひとりごと

昔からなぜか相談やら揉め事やら聞き手になることが多かった。

自分は子どものころから大人しいほうで、あまり喋ることをしなかったし、自分のことを話すこともなかったから、目の前にお地蔵じぞうさんがいるようで話しやすかったのかもしれない。

友人からは『肯定もしないし否定もしない』から話しやすいのではないか、らしい。

誰だって自分の思っていることやってることを間違いだと思いたくないから、できるだけ否定されなさそうな、理解してくれそうな人に話しにいくものだ。

自分がこそが正しいと思っていないと、そうして自分をギリギリで守っていないと、ハリボテの自我が崩れ去ってしまうんだろうから。

自分は、自分の感情の発露場所がほしかった。

では日記でも書けば良い、と言われればそれまでだが、なんなら日記は物心ついた頃から書いていた。本当に誰にも言えないことは、ここにもSNSにも流したりしない。

自分のことをあまり喋らず、静かに溜め込んでしまう分、どこかに出して形にしないと、きっと自分はいずれこの世界から潰れて消えてしまう。

自分は誰かの話を聴くし、別に聴くのが好きだからあまり苦痛にも思っていない。でも、自分の話を誰が聴いてくれるんだろう。誰が自分の話を『理解』してくれるのだろう。

自分の話すことは難しいらしい。それは自分に語彙力が足りないからだと思っている。自分自身が心で思い描いていることを、的確な言葉で表現するのは本当に困難だ。こうして文章だって固っ苦しいし。それもかつて指摘されたことがある。文章を文語ではなく、口語で書くほうが自分には難しい気がしている。

本当に頭の回転が良く賢い人は、難しいことを誰にでもわかりやすく説明できる能力があるのに、尊敬しかない。

喋ることもパッとその場で瞬発力高く発することもできないし、文章だってうんうん頭を捻りながら綴っている。まだ文章のほうが、喋ることよりマシな速度というくらい。

わかってほしい、理解してほしい、自分を認めてほしい…、そんな感情、すごく厄介だと思っている。そんな気持ちがあるから自分もいつまでも苦しいしうまくいかないのに。

もしかしたら、人は何かに、誰かに、自分の存在意義を見出せないと生きていけないのかもしれない。

それは大切な家族の中だったり、推しに貢ぐことだったり、大好きな友人や恋人の中だったり、夢中になれる仕事や趣味だったり、SNSなどのネットの中だったり。

有用感、とでも言おうか、自分がすることが何かの役に立っている、自分の存在が何かしらの形で価値のあるものだと、そう思いたいのかもしれない。

街中で知らない人から親切にしてもらったときのように、ネットを泳いでいたら、どんなキーワードで検索したかサイト名も記事もどこで見たか覚えていないけどこんなところがあったと、頭の片隅にでも残るようなサイトにしていきたいと常々思っている。

反応をもらえたらそれはそれはむせび泣くレベルで嬉しいことだが、何もなくても構わない。どこから来てくれたんだと思うほど、こんな名もなきサイトにひそかにのぞきに来てくれるだけですでに嬉しい。

自分が必要としていた情報を手に入れるために見てくれたり、暇つぶしにさらっと読んでくれるなら、書いている身からすればとても光栄なことだ。あまり面白いことは書けないかもしれないし、読みやすい文章ではないと思うが、できるだけ努力したい。

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