自分だけのひみつきち

ひとりごと

しゃべることは昔から苦手だった。

そのせいもあるだろうが、昔から人に認められることも理解してくれることもなかった。

勇気を出して、うまくまとまらない言葉をひねり出して、がんばって伝えても、わかってもらえなかったし、否定されていた。

子供のときから周りが思うことと、自分の思うことにギャップを感じていた。同じようなことを言い、同じような考え方をする同年代の子は理解ができなかったし、勝手な言動ばかりする大人も信用できなかった。

自分は間違っているのだと思っていた。自分が思うことは的外れで、おかしいことで、異端なのだと。だから、周りに合わせてきた。周りの子たちと、同じようなことを言い、同じような考え方をしているように見せていた。口うるさく文句を言われたり、のちのち面倒なことにならないように、信用できない大人に従っていた。

自分は、おかしい。自分で自分を否定していたし、自分という存在が浮いているような、薄っぺらい人間でいるような、本来の自分と周りに見せる自分が乖離かいりしているような、そんな自分を見て見ぬフリをしていた。

自分軸のない、ただ見聞きしたことだけに浸されたロボットのようだった。当たり障りのないことを発して、どこかで聞いたようなことを言い、さもそのへんに散らばった価値観と同じようなことを自分の意見だとでもいうように。

ネットに出会った。まだスマホも普及しておらず、インターネットやSNSという言葉すらも一般的ではなかったとき。シンプルな企業サイトや手作り感満載の個人ブログが多くあった時代。

衝撃的だった。顔も知らない、名前も知らない、でも確かに存在していて、画面の向こうには同じ人間がいて、才能の無駄遣いだと面白がられる天才的な人も、様々なことで苦しんでいる人も、たくさん見てきた。そして、その中に私と同じように考えている人がいること。

そのうち、ようやくスマホのように使える媒体ばいたいを持ち始めて、パソコンやゲームではなくても、気軽にネット環境にアクセスできるようになった。

ネットの外側で見ているだけだったのが、顔も本名も知らない人たちと、なんでもないことを気軽にやりとりができるようになった。好きなものを分かち合える人も、性格や性別が違えど同じような苦しみや痛みを抱えながら仲良くなった人まで。

いろんな人を見聞きした。ネットの中で、疎遠そえんになってしまった人も、数年経っても連絡が途絶えず仲良くしてくれる人もいる。できることなら、会ってお礼を伝えたい人もいる。

自分が自分らしくあるために、随分と時間がかかった。自分だけの人生を取り戻すのに、途方もない時間をかけてしまった。

しゃべることが苦手だからといっても、文章を書くことが得意なわけでもない。長年のブロガーの人たちや、頭の良い人たちのようにうまく文章をかけることはないし、文才なんてない、ただの凡人が書いた退屈な文章かもしれない。

なんでもよかった。自分の思うことを形に残したかった。自己満足だと、自分自身のなぐさめだと言われれば、確かにそうだ。否定できない。

これは自分のなぐさめでもあり、思考の整頓であり、自分自身のいましめでもある。

こうして言葉をつづることで、何か『気づき』があれば幸いだ。文字を通して、自分自身を見つめる手助けになればいい。あくまで持論だし、これが正しいなんて思わなくていい。こんな考え方もあると、こんな方法もあると、こころの片隅にでも置いといてくれたらうれしい。

おこがましいとは思うけど、ただ、自分がインターネットに出会って救われた1人であるように、ここで同じようにネットで救われる人がたった1人でもいてくれたら、と願う。

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